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【Interview】角橋俊〔房総の陶芸家〕

2018年、旅行で訪れた福岡のギャラリーで出会った陶芸作家、角橋俊さんの作品。
その瞬間、心の奥深くから惹かれる思いが湧き上がり、特に一枚のプレートが心に刻まれました。
そのプレートは今でもSOMBRELOに大切に飾られ、長い年月を経てもなお、その存在は優しく見守ってくれるような不思議な安心感を与え、いつも心に温かな幸福感をもたらしてくれます。
こんなにもエネルギーに満ち溢れた作品は、どのようにして生み出されるのでしょうか?
そのエネルギーの源泉を探るために、角橋さんにインタビューをさせていただきました。

角橋俊さんのご自宅兼アトリエは、澄み渡る青い海が広がる南房総の白浜にあります。
そこは、角橋さんが奥様と大工さんと共に手掛けた、他にはない個性あふれる拠点。
アトリエには、制作途中の作品や粘土、絵具が無造作に並び、自宅スペースには愛読書や雑貨が所狭しと置かれています。
さらに、子供たちと自由に描いた扉もあり、それぞれに角橋さんらしさが溢れています。
この隠れ家のような空間で、角橋さんが自ら創作した作品で淹れてくれる珈琲は、初めての出会いの緊張を忘れさせてくれる優しさ溢れる一杯でした。

角橋さんの人生の転機や、それによって得られた学びなどについて詳しく教えていただけますか?

僕は兵庫県神戸市須磨で育ちました。
住んでいた住宅街は、山を削って開発された場所で、自然が好きだったにもかかわらず、実際に自然の中で駆け巡った記憶はほとんどありません。
よく遊んでいたのは住宅街の公園であり、今思うと、少し臆病で山にはどこか怖さを感じていたのかもしれませんね。
幼少期にはサッカーなどのスポーツを楽しみましたが、集団スポーツのルールに次第に疲れを感じ、やがて辞めることになりました。
その後、個人競技であるボクシングを始め、こちらも楽しむことができましたが、心から熱中することはできませんでした。
振り返ってみると、僕はルールがある環境で頑張れる一方で、そのルールに満足できずに壊してしまう性格だったのかもしれません。


粘土に触れて自己表現を始めたのは26、27歳の頃で、それまではどこか苦しい気持ちを抱えていました。
本屋に行けば素晴らしい作家の作品に感動することはできましたが、自分で何かをして影響を受けることは当時できませんでした。
それが遠い世界の話のように感じていたのです。
自分で料理を作って美味しいと思ったり、次の日に新しい料理に挑戦したりと、自分を刺激することがもっと楽にできれば良かったのに。
「何かをしたいけど、何をすればいいのかわからない」という状態で、結局本屋に行ってしまい、人の作品を見て感動しても、また家に戻るというループを繰り返していました。
何かを始めれば良いのに、変に知識だけが増えてしまい、自分本来の欲求の外側をぐるぐると回っている感じでした。
いよいよ時間もお金も無くなってきて、25、26歳の頃、追い込まれて環境の変化に願いを込めてロンドンに旅立つ決断をしました。
ロンドンでは日系の引っ越し屋でフルタイムで働き、現地に住んでいる日本人のお客様相手に仕事をしていました。
当時の心境はまさに混乱していて、めちゃくちゃでしたね。
道端で拾った小説が面白ければ、作者に連絡して日本語に翻訳して出版させてくれと頼んだり、日本で出版関連の仕事をしていたので、イギリスの出版会社に飛び込みで仕事を求めたり、パブで働きたくなったりと、もうとにかく支離滅裂。
2年経っても自分の本来の欲求は満たされず、本当に辛かったです。
そんな中、本屋で見つけた作家のサンディさんに連絡を取ったところ、「とりあえず会いに来なさい」という返事をいただきました。
ほとんどの人は連絡に返事をくれなかったので、その一言がとても嬉しかったのを今でも鮮明に覚えています。
同時に、ここからはもうやるしかないと覚悟を決めました。


そして、土とサンディさんという縁を得られたことが、僕の人生の中でもとても大きな出来事でした。
サンディさんとの出会いや、工房での体験は本当に感動的で、粘土を触ることで、自分で何かを作り上げる楽しさを見つけました。
粘土を触ると「こういう形ができるんだ、絵を描くとこんな色になるんだ」と、自分で試して自分を発見していくことが楽しくなりました。
流れのままにサンディさんの工房の屋根裏部屋に住むことになったのですが、埃っぽい環境で気管が弱い僕には辛い面もありましたが、それでも屋根裏部屋に辿り着いたことは僕にとって大きな達成感でした。
つても何もない状態で、自分でもがき努力して掴み取った縁だと感じていました。
これが僕の人生で初めて、自分で何かをやり遂げた感覚で、自分の納得できるエネルギーの使い方ができたんです。

身体を使って何かをすることへの欲求が角橋さんの原動力になっているように感じるのですが、それはどのようにして創造活動に結びついていったのでしょうか?

自分ではあまり意識していませんでしたが、小さい頃から友達と鬼ごっこやサッカー、ボクシングなどをして、自分の身体を動かすのが好きでしたね。
本屋で他人の作品を眺めても、自分で手を動かして作ったわけではないので、どこか満足できていない感覚がありました。
新卒で入社した会社は、音楽レーベルも持つ小さな出版社兼カメラの製造会社でした。
そこでの仕事は営業がメインで、面白いものを作る人たちに出会うことが多く、それは楽しい経験でした。
そういった人々の作った物を営業していましたが、今思うと、自分が作った物を営業したかったのかもしれません。
改めて考えてみると、身体を使って感じたいという欲求があったのでしょうね。
実際、つい最近まで納屋のような場所を工房にしていましたが、机や椅子を叩いたり、息が詰まると絶叫したり、壁を叩いたりしていました。
今は家の中に工房を作ったので、壁を壊しにくいんですよ。
家族と共有する場でもあり、自分で大工さんと一緒に作り上げたという思いもあって、それがジレンマなんです。
いずれは外に掘立小屋のような工房を新たに作りたいと思っています。
いろいろと頭で考えてしまうタイプかもしれませんが、結局は身体の感じるままを表現したくなるのかもしれません。
土を扱う方々の中には、デザインを重視する人や、3Dプリンターを駆使して造形する人もいます。
それぞれに価値があるとは思いますが、僕自身はそのようなものには全く興味が湧かないんですよ。

これまでの人生で憧れや興味から遠い場所や分野に目を向けることが多かったとのことですが、それらの経験が角橋さんの創造性にどのように影響を与えたのでしょうか?

実は、一時期建築にも興味を持ったことがありましたが、全然肌に合わず挫折しましたね。
むしろ、会社を辞める際には「建築をやる」とか言って辞めたんですよ。
不思議なことですが、自分とは最も縁遠いことから「自分の何か」を探し始めたんです。
わかってきたのは、僕の癖として、全く向いていないことにすぐに目がいってしまうということです。
建築に目を向けたかと思えば、服を作ろうとしたり、デザインしてみたり。
自ら作ることには興味があったと思いますが、例えば小説など、自分では絶対に書けないような作品に憧れて、その人と同じことをしようとしても、到底できるわけがないんです。
でも、考えてみると、自分にないからこそ憧れるんでしょうね。
僕は馬鹿なので、そこから毎回スタートしてしまうんです。
人間の心って面白いですよね。
僕が今はアワビの素潜りをして2年目になりますが、10年、20年前だったら絶対にやらなかったでしょうね。
その頃は、建築をやるんだと息巻いていましたから。
自分の心の動きと、頭で考えた憧れって全然違うんですよ。
イギリスに行ったのも、文化の香り漂う素敵な本屋に影響を受けて、欧米に憧れたからなんです。
でも、本当は旅行で訪れたチェンマイの方がはるかに肌に合って、大好きでした。
もしチェンマイの魅力を追求していたら、アジア圏の文化や日本の伝統文化などに深く関わっていたかもしれません。
それでも、自分とは遠いところに憧れてしまうのが僕の性分なのでしょうね。
今は開き直って、出会ったものに影響を受けると決めています。
どんなに価値のある作家さんの作品でも、実際に会って交流した人の作ったものの方が自分にはとても大切なんです。
家に置いている物も、実際に会った人のものばかりです。
憧れで遠い国に行ったり、自分に合わない仕事をしたりした経験も含めて、すべて影響を受けると決めました。
これからも、出会ったものから影響を受けて、自分の道を進んでいくと思います。
どんな出会いも大切で、それをひっくるめて自分の一部として受け入れていきます。

製作を始めるとき、どのような気持ちやプロセスで取り組んでいますか?

まず、僕にとって製作において土と海は切り離せない存在なんです。
それも最初に出会ったサンディさんの影響で、それは、土と海がまるでお父さんとお母さんのように、僕の心に深く結びついているからです。
製作を始めるときはいつも困惑からのスタートです。
でも土に触れているうちに、その困惑も次第に薄れていきます。
時にはすんなり形になることもありますが、全くアイデアが浮かばず、めちゃめちゃ激しくテンパって、まじで何も思いつかない、何もなないみたいなどうしようもない状態になることもあります。
そんな時は、開き直るしかないんです。
まずは今までの経験を活かしてやってみることで、少しずつ道が見えてくる感じです。
最初から豊富なアイデアを持って土に触れることは少なくて、大抵の場合は困惑から始まります。
でも、やっているうちに楽しくなって、自然と解決方法が見つかってくるんです。
ある意味で、困惑こそが僕のスタートラインなんですかね。
作ることをやっているのに、なんで最初から困っているの?と不思議に思う人もいるかもしれませんが、僕としては、自分の心に忠実に従っているだけなんです。
最初は本当にしんどいですが、それも一時的なもので、最初の困難に向き合うことで、いつも新しい発見があります。
製作中に、プレートの形状を意識して最後まで作り上げることもあれば、途中でオブジェのようなものに仕上がることもありますね。
大体7割は何も考えずに土に触れ、形状を意識して始めるのは3割程度です。
というのも最初のお客様がロンドンで喫茶店を立ち上げた方で、今でもその方から注文をいただくので、そういった方にはある程度の形状を意識して始めます。


僕の思考は恩師のサンディさんとは全く異なっていて、彼女は土に触れるとすぐに楽しさを感じて工房に向かい、あっという間に作品を作り上げてしまいます。
あらためて考えると僕が感じる「生みの苦しみ」は錯覚であり、
アイデアがないと感じるのも、脳が過去の知識に頼っているからかもしれませんね。
結局のところ、困難から始めるのが僕のやり方なんです。
だから、その苦しみもただの言葉に過ぎないような気もします。
僕は力強く表現できる土を使っていて、陶芸的な技法はサンディさんから見て学びました。
素材については、昔、京都のユースホステル兼日本酒バーでバイトしていた時に、信楽の陶芸家さんから教わりまして、今でもお世話になっています。
制作中は辛いことも多いですが、思いがけない形や色が現れる瞬間は、本当に楽しいです。
例えば、黒の絵の具を塗った後に手で掘ったり削ったりするやり方を発見した時は、とても面白かったです。
普段はおしゃべりが好きですが、制作中は黙りたい気持ちもあり、無音の中か音楽をかけて歌いながら作るのが気分がいいですね。

最後に、展示に向けてお客様へのメッセージをお願いできますでしょうか?

今回の展示に関しては、僕にとって数ヶ月におよぶ駒澤さんとの対話みたいなものだと思っていますので、作品を通してそれがなんらか伝わり楽しんでいただけたらとても嬉しく思います。


角橋 俊 展

開催日:2024年 8月10日(土)〜9月1日(日)
作家在廊日:8月10日(土),8月11日(日),9月1日(日)

数ヶ月にわたる対話を経て、生まれた粘土の造形物。
そこに色が加わり、無邪気さと、信念が宿る作品群です。
ぜひ、この特別な展示で角橋さんの世界を体感してください。

-PROFILE-
角橋 俊 (かどはし しゅん)
1984年生まれ、神戸育ち
2011年より約1年半イギリスのDEVON州でイギリス人アーティストSandy Brownの元で住み込みで働き、自身の作品の制作活動を始める。

現在千葉県の海と山に囲まれた街で、制作を行う