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「Ataraxia」の究極のシンプルが息づく。- 代表作「COCO Coat」の魅力に迫る –

『Ataraxia』のデザインが放つ美しさは、目に見える形だけではなく、その背後にある深い思想に根ざしています。
デザイナー成田加世子氏は、計算されたディテールに込められた意図を大切にし、デザインの一つ一つから、丁寧に考え抜かれた想いやこだわりが伝わってきます。
ブランドの代表作である『COCO Coat』は、シンプルでありながら圧倒的な存在感を放ち、ただのコートではなく、身に纏う人の個性を引き立てます。
今回は、成田氏の哲学に触れつつ、『Ataraxia』の真髄とCOCO Coatに込められた美しさを紐解きます。

1.Ataraxiaと成田加世子

Ataraxia(アタラクシア)というブランド名には、どのような意味や思いが込められていますか?

Ataraxiaというブランド名には、深い意味と思いが込められています。
この言葉は、ギリシャの哲学者エピクロス派の用語で、「こころの平穏な状態」を意味します。
自分らしさが映し出される服を作りたい——そんな願いを胸に、このブランドを始めました。
そして、それを続けていくことこそが、私にとってのAtaraxiaなのだと信じています。
ブランド立ち上げの直前、2016年2月。 私はサントリーニ島のイアで夕日を眺めながら、覚悟を決めました。
「私はやります」と。そして翌日、アテネのオリンポスの丘に立ち、再び宣言しました。
「私はやります」と。
その決意を胸に、次に向かったのはスイス・ローザンヌ。
業界の大先輩にあたるココ・シャネルさんの墓前に立ち、静かに挨拶を捧げました。
「Ataraxiaという名前のブランドをやります。どうぞよろしくお願いいたします」と。
広大な墓地の中、当時のインターネットに掲載されていた番地の情報は誤っており、私は道に迷いました。
途方に暮れながらも、近くにいた方に尋ねると、親切にも「あちらですよ」と案内してくださいました。
大きな木々をいくつもくぐり抜けた先に、小さなスクエアの空間が広がり、その一角にシャネルさんの墓が静かに佇んでいました。
そこには、シンプルな緑の植物が整然と四角に植えられ、まるで彼女の美意識そのものを映し出しているかのようでした。
そして、墓石にはおもちゃの白いプラスチックのパールネックレス——チョーカーサイズのものが、さりげなく掛けられていました。
その光景を目にした瞬間、胸が熱くなりました。
「この人に会いに来てよかった。」そう心から思ったのです。
Ataraxiaは、そんな思いとともに生まれたブランドです。

幼少期からデザイナーになるまでの経験について教えてください。

ものごころがついた頃から、私にとって「服」は買うものではなく、母とともに「つくる」ものでした。
既製品を手にした記憶はほとんどございません。
3、4歳の頃には、バービー人形の服を私が指示し、母が仕立ててくれていました。
小さな布の断片から生まれる一着に、私はすでに服の構造を感じ取っていたのかもしれません。
母は紳士服の仕立てをしていたので、6歳頃には自分でデザイン画を描き、8歳になると生地屋で選んだ布を持ち、ご近所の仕立て屋さんに服を仕立ててもらうようになっていました。
手を動かすことが好きで、ニットも自分で編みました。
棒針を手に、本を解読しながら編んだ白いアランニット。
ジャカードの柄はご近所の方に手横機で編んでいただきながら、細かな部分まで意志を伝え、形にしていく。その過程こそが、何よりの楽しみでした。
ピアノの発表会では、母に赤い梳毛ウールのベネシャンでサロペットを仕立ててもらい、それを身にまとってブルグミューラーの「小さな嘆き」を弾いたことを覚えています。
服と音楽、その両方が一体となって、幼い私の世界をかたちづくっていたのだと思います。
「加世ちゃんはこだわりが強すぎるよね」——ニットを編んでくださっていた方が、母にそう漏らしていたそうです。
でも、今になって思えば、良い意味でのこだわりこそが、自分の表現だったと思います。

ご自身のファッション観や影響を受けたものについて教えてください。

私は、時代ごとに移り変わる様々なスタイルを貪欲に吸収しながら育ちました。 バブル後期の時代、ファッションは実験的で自由。
20代にはティエリー・ミュグレーを纏い、ボディコンシャスな装いを楽しんでいました。
高校時代はヨウジ・ヤマモトやコム・デ・ギャルソンに魅了され、ハマトラやDCブランドの影響も受けています。
古着にも強く惹かれ、フェミニンなアイテムからチャンピオンのヴィンテージスウェットまで、あらゆるスタイルを楽しみました。
ロンドンのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館や、パリの装飾美術館で、服飾史に登場するコスチュームを学び 、古い映画を観ては、その世界観に没入する——ゴダール、ルキノ・ヴィスコンティ、フレッド・アステア、そしてヴィム・ヴェンダース。
映画の中の衣装や空気感すべてが、私の感性を研ぎ澄ませていきました。
エルメスの理念には、特に共感しています。90年代後半から2000年代前半、マルタン・マルジェラがデザインしていたエルメスのコレクションは、私にとって深く響くものでした。
世界的なブランドであるコムデギャルソンでパタンナーアシスタントを経験し、30代にはベイクルーズに在籍。スタンダードを追求する環境の中で約10年を過ごしました。
さらに2000年代中頃、フィービー・ファイロが手掛けたセリーヌに触れたとき、そのシンプルさの中にある芯の強さに魅了されました。
そして40代を迎える頃、今思えばその頃から、私の中で「ATRAXIA(アタラクシア)」の輪郭がゆっくりと描かれ始めていたのかもしれません。これまでに培った美意識や経験、それらがすべて重なり合い、ブランドの姿へと結晶化していったのです。

ご自身の日常で大切にしていること、例えばライフスタイルや哲学的な部分について教えてください

シンプルに、ただ今を生きること。
それが、私の日々の指針です。
積み重ねてきたものを、あえて手放してみる。
足し算をしてきたからこそ、引き算を試みる。
何かをやめてみることで、本当に必要なものが見えてくる——そんな思考を強く意識するようになったのは、ブランドを立ち上げてからのことでした。
会社勤めをしていた頃は、どんなことでもやれるだけやる、というのが信条でした。
後悔したくない性格なんです。
だから、まずはすべて試してみる。調べて、考えて、実践する。
デザイナーの仕事とは、徹底的にリサーチし、見極めることでもあるから。
流行を知り、世の中の流れを掴み、そのうえで「これは必要ない」「このニュアンスだけ取り入れよう」と判断する。
その繰り返しの中で、時には直感が降りてくることもあるけれど、それはきっと、積み重ねた思考の先にあるもの。
そして今、私は「素直であること」を何よりも大切にしています。
“今の自分” と “本当の自分” がいるのだとしたら、私はその本当の自分にできる限り近づきたい。
だからこそ、思考に迷いながらも、自分の心に正直でいることを選びます。
それが、私にとっての “シンプルに生きる” ということなのかもしれません。

2.究極のシンプルとは、本質を見極めること

「究極のシンプル」を追求するというブランド哲学について、どのように表現したいと考えているのでしょうか?

「究極のシンプル」とは、ただ削ぎ落とすことではありません。
それを追求するには、まず私自身の思考がシンプルであることが大切だと考えています。
シンプルであること——それは、余計なものをそぎ落とし、本質だけを見つめること。
そして、その本質にたどり着くためには、素直であることが欠かせません。
自分自身に、素材に、技術に、そして関わる人々に対して、誠実でいること。
そうして生まれたものが、Ataraxiaの服となるのだと思っています。
ブランドのキーワードは、
● 「着る人が輝く服」
● 「始まりは素材から——永遠性を感じさせる素材選び」
● 「長く、永く愛されるデザイン」
とりわけ、コートというアイテムは、その哲学を最もよく表現できるもの。
身体を包み込む美しいシルエット、選び抜かれた素材、緻密なパターン、確かな縫製。
それらすべてを通じて、「着る人が輝くスタイリング」を思い描きながら、ひとつひとつ仕上げていきます。
Ataraxiaにおいて、デザインの起点となるのはいつも「素材」です。
選ぶ素材が、服の方向性を決め、纏う人の存在を引き立てる。
そうして生まれた服が、時を超えてなお愛され続けるものであるように。
私は、迷いながらもこの思考を手放さず、あきらめず、作り続けています。
それが、Ataraxiaというブランドのあり方なのです。

「シンプルで美しい服」をつくるうえで、パターンや縫製の工程で最も大切にしていることは何ですか?

「シンプル」という言葉は、一見すると削ぎ落とした先にあるもののように思えます。
けれど、ただ余計なものを省くのではなく、本当に必要なものを見極め、そこに最適な技術と知恵を注ぐことで初めて、美しいシンプルさが生まれるのだと考えています。
服づくりの中で、私は常に 「その人、その会社の得意なこと」 を尊重しながら関わっています。
パターンと縫製においても、それぞれの職人が持つ技術の強みを活かせるよう、その形を最も得意とするモデリスト(パタンナー)にのみお願いをしています。
最近では、共に仕事をするモデリストの若い世代が育つことにも意識を向けるようにしています。
モデリストの仕事は、ただ良い型紙を引くだけではありません。
彼らが作ったパターンの仕様書を見たときに、縫製職人がすぐにその構造をイメージできること。
仕様書そのものが美しく、正確に伝わるものであること。
それは、服づくりの全体像を整理し、ディテールへと落とし込む作業——まさに、物事を伝える技術そのものなのです。
しかし、今の時代、そのようなモデリストは少なくなりつつあります。
デザイナーが本当に伝えたい服を形にするためにも、こうした人材が育つ環境をつくることも、私の役割の一つだと感じております。

服づくりにおいて、どのような基準で素材を選び、その特性をデザインに活かしていますか?

素材選びについても、シンプルな中に最適を求めることに変わりはありません。
例えばウールのコートをつくるとき、仕立て映えを考えるなら ダブルフェイス(二重織) の生地が理想的です。
さらに深く掘り下げると、ダブルフェイスには 接結糸が剥がれるものと剥がれないもの があり、私はあえて剥がれるものを選びます。
それによって生地にふわりとした空気感が生まれ、軽やかで美しいシルエットが生まれるからです。
また、糸の選定は、生地メーカーが持っているものから選ぶことで自ずと出来上がりの方向性が見え完成度の着地が決まります。
そのとき大切にしているのは、そのメーカーが どのような仕事をなさってきたかがとても重要です。
例えば、私がコートに使う生地は、20年以上前から海外のラグジュアリーブランド向けに生地を輸出しているメーカーのものです。
それは、単に「ラグジュアリーブランドが使っているから」ではなく、
「長年にわたり、当たり前のことをひたすら丁寧に積み重ね、世界に認められてきた」という事実こそが、信頼に値するものだと考えているからです。
生地を選ぶ際には、とにかく多くのものを見比べることも重要です。
私は約20年にわたり、パリで開催される世界的なテキスタイル見本市 「プルミエール・ビジョン」 に足を運び、各国の生地に触れ、選び抜いてきました。
しかし、どれほど素晴らしい生地であっても、理想的な品質と価格のバランスを見定め、関わる人のキャラクターがとても重要です。
そのすべてを踏まえたうえで、「最適」なものを選び、服づくりへと落とし込んでいます。
「シンプルさ」は決して単純ではなく、緻密な計算と、積み重ねた知識と技術、関わる人のうえに成り立つもの。
それこそが、Ataraxiaの服の本質であると考えています。

3.唯一無二の「COCO Coat」が生まれるまで

COCO Coatのデザインはどのように誕生し、どんなインスピレーションがあったのでしょうか?

このコートをつくるとき、私の心にあったのは 「着る人が輝くコート」 という想いでした。
特別な人だけが似合うものではなく、誰もが自然体のまま美しく見える。
そんなコートを生み出したいと考えたとき、まず素材がすべての始まりになると感じたのです。
「永遠性を宿す素材」
流行に左右されず、何年経っても変わらず愛せる。
長く、永く着られるコートであること。
そのために、素材選びには特にこだわりました。
このコートを形にするまでには、多くの試行錯誤がありました。
最初は何枚もデザイン画を描き、その中から可能性を感じたものをサンプルに落とし込んでいきました。
3つほど試作を重ねるうちに、自然と「これだ」と思える形に辿り着いたのです。


実は、COCO Coatの原型が生まれたのは、Ataraxiaというブランドができる10年も前のこと。
2006年ごろ、まだブランドを立ち上げる前でしたが、ただ純粋に「自分が思う最高のコートをつくりたい」という気持ちで、試作を重ねていました。
その時はまだ世に出すつもりはなく、個人的な探求として温め続けていたもの。
けれど、ブランドを始めると決めたとき、このコートこそがAtaraxiaの象徴になるべきだと確信しました。
そして、このコートのフォルムが繭(Cocoon)のように包み込むシルエットを持っていたことから、COCO Coat という名が生まれました。
COCO Coatは、私の服づくりの原点であり、Ataraxiaの哲学を最もよく表した一着です。

COCO Coatの素材にはどのようなこだわりがあり、それが着心地や表情にどのような影響を与えていますか?

このコートの素材には、特別な想いが込められています。
ただ上質な生地を選ぶのではなく、「この場所、この人たちでなければ生み出せない」 という唯一無二の素材をつくること。
それが、COCO Coatの本質を形づくるうえで欠かせない要素でした。
生地づくりをお願いしたのは、世界に誇る機屋(はたや)さん。
彼らが持つ技術と哲学に共鳴し、共に理想の素材を追求しました。
目指したのは、「永遠性」を宿す生地。
年月を重ねても美しさを保ち、纏うたびに愛着が深まるような質感です。
COCO Coatに使用しているのは、SUPER140’ の糸を用いたダブルフェイス生地。
SUPER140’とは、16.5マイクロンという極細の繊維を持つオーストラリア産メリノウールを使った高級スーツ地にも採用される梳毛糸。
これを高密度に織り上げたうえで、両面を丁寧に起毛させ、柔らかな風合いに仕上げました。
この生地の魅力は、その独特のふくらみと軽やかさ。
見た目には重厚な印象を与えながらも、纏った瞬間に驚くほど軽やかで、しなやかに身体を包み込む心地よさがあります。
それは、ただ「良い生地」ではなく、COCO Coatという存在そのものを支える特別な素材だからこそ生まれるもの。
この生地は、Ataraxiaのブランド設立以来、ずっと作り続けているものでもあります。
それは、一過性の流行ではなく、本当に価値のあるものを届けたいという願いがあるから。
纏うたびに、その想いが伝わるような、そんなコートでありたいと願っています。
また、日常のケアにも特別な方法は必要ありません。
しわが気になったときは、浴室にお湯を張り、数時間そのままにしておくだけで、蒸気を含んで自然なふくらみが戻ります。
アイロンをかけることなく、ふわりとした美しい質感を保つことができるのです。
COCO Coatは、素材のすべてに意味があり、こだわりが詰まっています。
長く愛される一着であるために。
纏う人の人生にそっと寄り添い、共に時を重ねるコートであることを願っています。

4.信頼で紡ぐものづくり

成田さんが信頼する工場との関係はどのように築かれ、その中で最も大切にしていることは何ですか?

ものづくりにおいて、最も大切にしているのは 「信頼関係」 です。
工場の方々とは、会社の垣根を超えて、同じ志を持つ仲間として向き合う。
「成田さんは、うちの子たちと同じ目線でいてくれるから、本当に嬉しい」
そう言っていただいたことがあります。
アパレル業界では、縫製工場が下請けのような立場に見られることも少なくありません。


しかし、私は「Ataraxiaでは、決してそのような関係をつくらない」と、ブランドを立ち上げる前から決めていました。
だからこそ、工場の方々と直接向き合い、対話を重ねながら服をつくっています。
意見を伝えるだけでなく、ときに耳を傾け、歩み寄ることがとても大切です。
どんなに小さなことでも疑問に思ったら、お問い合わせをしていただけるように、こちらから、お声がけをするように心がけております。
お互いを尊重しながら対話を重ねることで、初めて理想の服へと近づいていく。
そして、その関係性は不思議と、仕上がった服にも宿るのです。
Ataraxiaの服が纏う人の心に響くのは、デザインや素材だけではありません。
それをつくる人々の想いが込められているからこそ、温かみのある一着になるのだと信じています。

5.ブランドの未来への想い

Ataraxiaの未来において、成田さんが目指すビジョンや方向性はどのようなものでしょうか?

私にとって「Ataraxia(アタラクシア)」という言葉は、ただのブランド名ではなく、心に響く言葉そのものです。口に出すたびに、自然と心が落ち着き、永遠の美しさを感じさせてくれるものです。
私が目指すビジョンは、まさにその「永遠性」にあります。 100年後、ある町のヴィンテージショップの棚に、Ataraxiaの名を冠した服が静かに並んでいる光景を思い描いています。 それは、時間を超え、世代を越えて愛され続けるものとして、静かに存在し続けることを意味します。私が描く未来は、ただのファッションにとどまらず、時間の流れの中で人々に寄り添い、変わらぬ美しさを届けることです。私のビジョンは、まさにその美しい「永遠性」に満ちた世界なのです。
その『永遠性』は一方通行ではなく、Ataraxiaのものづくりに関わる人々の手を経て、お店を通じてお客さまのもとへ届き、袖を通した方の想いがまた次の服作りに生かされる——そうした円環のなかで循環していくものだと考えています。 この流れを思い描きながら、Ataraxiaを続けていきます。

最後に、受注会に向けて、お客様にメッセージをお願いできますか?

ぜひ実際に袖を通して、素材の風合いや着心地を感じてみてください。
手に取っていただくことで、私が込めた想いが自然と伝わる瞬間があるかもしれません。
ファッションは、ただ眺めるだけでなく、身につけることで新たな魅力が感じられるものだと思っております。
どうぞ、その特別なひとときを楽しんでいただけたら幸いです。


<PROFILE >
Kayoko Narita

アウター専業ブランドにて約5年間、コートのデザインに従事。
その後、ベイクルーズのエディットフォールル、ドゥージエムクラスのデザイナーとして約10年間在籍。
以降、新規セレクトブランドの立ち上げ、大手ブランドのディレクター、チーフデザイナーを務めるとともに、若手デザイナーの育成にも携わる。
2016年秋冬シーズンより、自身のブランド Ataraxia をスタート。コートを中心にシャツやボトムスを加えたコレクション『5/8』を発表し、展示会を開催。現在も主要都市のセレクトショップを中心に、オーダー分のみを生産・販売。セールを行わず、流行に左右されないコレクションを展開している。
2022年より Eternal Collection として新たな展示会を開催し、ブランドの本質を追求し続けている。